解体進む旧桐生市民体育館。改めてその価値を考える。

約50年間にわたり市民に愛された桐生市相生町の旧桐生市民体育館。今年1月に新しい桐生市民体育館「桐生ガス スポーツセンター」が会館したことにより、その役目を終えて4月より解体作業が始まっています。既に解体工事用のフェンスに囲まれ、今の体育館の姿を眺められるのもあと僅かな期間となってしまいました。なお、解体後は駐車場が整備される計画です。

改めて現体育館を眺めてみると懸垂式の屋根が非常に美しく、近代建築におけるモダンさを感じさせるような素晴らしい存在感を持った建築物だと感じます。その造形美は先日、国の重要文化財の答申を受けた代々木体育館を連想させるほどです。約50年前の開館当時、桐生市民体育館の広さは北関東一の施設であったとの記録もあり、当時の桐生市民の大きな期待を受けた施設であったのだと思います。

旧桐生市民体育館では建設当初の昭和44年に高校総体、昭和58年にはあかぎ国体が開催されるなど、これまで2つの大きな全国大会の会場となったほか、その後も桐生市の屋内スポーツの拠点として市民に親しまれ、近年ではマーチングフェスティバルやビジネスマッチングフェアなど各種イベント会場としても活用されてきました。

建設当時の論文を調べると「全館冷房付で館内に柱が1本もないというデラックスな建物である」と紹介されており、このような表現からも当時としては最先端で相当に豪華な施設であったことが伺えます。

設計者は日本大学名誉教授で建築構造学の第一人者と言われた加藤渉先生が設立したカトー設計事務所です。ちなみに、加藤渉先生が構造設計に携わった新潟市体育館は、世界遺産登録された国立西洋美術館と並んでドコモモジャパン選定建築となっています。これはカトー作品が現在でも高い評価を受けているということ。残念ながら現在既にカトー設計事務所は解散してしまっていますが、建築専門誌等ではカトー設計事務所が携わった体育館や文化会館・公共施設等は「モダニズムの中心を担った公共建築群」と評されていることや、カトー設計事務所で腕を磨いた建築士が現在でも全国各地で活躍しているということも、一つの価値の証明と言えます。また、現在の市民体育館を建築したのは国立競技場を建設した大成建設であり、旧桐生市民体育館は昭和を代表する建物の一つであったと言っても過言ではありません。

旧桐生市民体育館の整備方針が改修ではなく建替えとなったのは、老朽化が著しく建物の耐用年数は過ぎていたこと、最近では修繕をしなければならない箇所が増えてきて使用に支障が出てきていたことなどが挙げられています。それでも、改修して残す道がなかったのかという無念さは消えることはありません。

新しい桐生市民体育館「桐生ガス スポーツセンター」の建物は機織り機のシャトルを模したような特徴的な外観で、随所に織物のまち桐生のイメージが反映されたデザインとなっています。新旧のバトンタッチとして、2つの体育館が並ぶのは今だけの特別な姿。間もなく見納めとなるこの風景を、しっかり目に焼き付けておきたいと思います。

【投稿者:はたのね編集部】桐生を元気にする情報を発信していきます。

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