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豊かな自然と神秘的な雰囲気、郷土の歴史に触れる。桐生川源流の石鴨

群馬県桐生市の中心市街地から北東に約20㎞、梅田町の奥深くに石鴨という地域があります。栃木県との県境に近い山あい、合併前の旧桐生市の中では最北端に位置し、桐生川の源流にあたる地域です。急斜面に建つ神社や亀に乗った道祖神が、豊かな自然の中で神秘的な雰囲気を醸し出しています。

▽豊かな自然の中を澄んだ水が流れる石鴨地域

水が流れる石鴨地域

神社は石鴨天満宮といいます。案内板や伝承によると、その昔、藤生紀伊の守(ふじうきいのかみ)が京都の北野天満宮から受けた神像を祀ったのが始まりだそうです。大雨によって社殿が桐生川に流され、その後、紆余曲折を経て現在の桐生天満宮になったという民話が伝えられています。藤生紀伊の守は、またの名を藤生善久といい、桐生市広沢町の大雄院を建立したことでも知られています。大雄院の建立が1583年(天正11年)、藤生紀伊の守の死没が1590年(同18年)だそうです。また、徳川家康が家臣に命じて、桐生天満宮を起点に桐生新町の町立てを始めたのが1591年(同19年)のことです。桐生新町は現在、重伝建地区(重要伝統的建造物群保存地区)となっています。

▽急斜面に建つ石鴨天満宮(左)と歴史を伝える案内板(右)

急斜面に建つ石鴨天満宮

一方、「石鴨の道祖神」は市の重要文化財に指定されており、碑石には「宝暦四年」と刻まれています。江戸時代中期、西暦では1754年にあたります。桐生市ホームページの解説によると、亀の形をした台座は珍しく、その上にある碑石には男女2体の姿が彫られていて、台座などを含めた全体の高さは1mほど。左側に男性、右側に女性が立ち、中央で手をつないでいます。一般的に道祖神とは、地域の境や峠の道沿いに置かれ、外来の疫病や悪霊を防ぐ願いが込められていたと言われています。子孫繁栄や交通安全の神様として信仰されている場合もあるそうです。

▽石鴨の道祖神(左・中)。右は重伝建地区内にある根本山道標。下段には「これより道のり九里五丁」と彫られています。

道祖神・根本山道標

石鴨のさらに奥にある根本山は、江戸時代に山岳信仰で多くの参詣者を集めました。石鴨の歴史や文化、天満宮が建てられたきっかけ、もしかしたら道祖神にも、少なからず関係していると思われますが、根本山の話はまたの機会にいたしましょう。石鴨天満宮や石鴨の道祖神へは車で行くことができますが、途中に狭い道や曲がりくねった道があるので、お出かけの際は十分お気をつけください。

【投稿者:はたのね編集部】桐生を元気にする情報を発信していきます。

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